雑記

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3月11日に読む本 

 震災の日、家にいた。1人だった。

 わたしの地域は(後から知ったけど)震度5弱だった。それでも、わたしが知っている地球がこんなに揺れたことは初めてだ。

 その日は午前中で授業が終わって、はやばや帰宅したので、お昼ごはんを食べたあとダラぁっとしてテレビを見てた。金八先生の再放送がやっててさ、実際に金八先生の生徒になったら、どうなんだろうか?と思案していた。一般的には違う意味で、良いのではないかと思った。たとえば家族のこととか。

 まぁそれは置いといて。

 緊急地震警報がテレビと携帯から鳴り響いた。それは何度か経験済みだったから、ドキッとしただけで、不安は無く、むしろ不謹慎な高揚感があったくらい。

 揺れ始めて、『あれ?けっこうでかいな』と眉をしかめた。そっから大変だった。地震というより、なんか突風が吹いているような枯れた音がし始めて、みるみる視界が歪んでいった。情景を思い出せるのは初期微動のあいだだけで、本震のときの状況は、あんまり思い出せない。

 夜は、皮肉なことに、家族が久々(何年ぶり?)に揃った。皆でご飯を食べれて、わたしは、ちょっと嬉しかった。

  これがわたしにとっての2011年3月11日です。皆さんはどうしてましたか?

 

 それから平時の日々が始まって、たとえば周囲の大人に対する疑問・不満・不安・鬱積・などなど、あの頃のわたしの心の生成変化たるや、事後的ではあるものの、純朴だったが故もあり、グチャグチャになっていたなぁと思い出せたりもするのですが、それを書いてもしょうがない。

 

 震災が原因というわけではないけれど、その頃から読書するようになった。最初は児童文学さえろくすっぽ読めなかったけど、毎日活字に接するようになって、だんだんと文脈だったり、思いだったりを読み取れるようになった。

 

 『それも三月は、また』という本に町の図書館で出逢ったのは一昨年の夏だった。現代作家17名の短編などが載っているアンソロジー形式の本で、長編を読める読力がまだ無かったわたしは「ちょうどいいや」という軽い気持ちで読んだ。小説・詩・ルポ的なもの・最後には芥川龍之介など、東京大震災の話が出てきたり、最初に読んだときは、「うわぁどうしよう」と混乱してしまった。

 

 けれども、昨年の今日、3月11日。また読みたくなった。

 また読みたくなった理由はよくわからないけど、二回目の『それでも三月は、また』は一冊の短編集として冷静に読めた。

 そして感じたのは「みんな迷っている」ということだった。

 言葉のプロフェッショナルたちが、なにを書いていいのやらと、暗中模索しながら、明確に意見を持たず、いや持つことをなるべく避けている印象だった。

 それは当時のわたしにとっては「なんだよ!」と怒りたくなったが、それが大きな間違いであったと、今日わかった。

 

 2015年3月11日も、『それでも三月は、また』を読むことができた。

 風がほんとうに強くて、花粉も酷かったから、どうしようか迷っていたけど、今までの人生でこういった「指先の思い出」ってなかったから、えいやと出不精の殻を破った。

 「まだ書庫に入れられてない(!)」それだけでなんだかホッとした。借りられてないってのは「本」的にどうなのー?って思ったけど、借りられてたらわたし、どういう顔してたんだろう(笑)

 

 内容はもう分かってる。

 「谷川さんのあれから始まって、多和田さんは今も筆を走らせているよなぁ、ダブル川上(弘美、未映子)女史はモテるやろうなぁ、池澤さん『双頭の船』読んでますよ!明川さんはドリアン助川さんで老子の本がおもろかったなぁ・・・・・・」

 そして思った。

 「この人たちはすごい」と。

 一字一句、彼らの中で納得のいく言葉を書いていたのだ。そして、この人たちわかっている。3月11日があらゆる人々にとって固有に持ち合わせている概念であること、あまつさえそれが毎年来ることも。そしてそれは、たいして劇的なものではなく、存外普通であることも。

 

 わたしの3月11日は、これにしよう。この本にしよう。

 

 一面ガラス張りの壁からの景色を視界にちらつかせながら、二時間くらい、それだけを読んでいた。

 コートの中には家の鍵だけが入っていて、財布も携帯もない、借りるつもりはなかったけど、図書館カードもない。

 閉館のチャイムがなる前に図書館を出た。

 読書を始めてからもうずいぶん経つ。家にはたくさんの本が集まったのに、なんでこの本は買わないのだろう?買ったのに読んでない本だってある。

 でもそれでいいのだ。わたしはこの本を、毎年、この図書館で読むんだ!

 

 どこにも行かない。わたしのこの図書館は、わたしがどこに引っ越そうとも、廃館になろうとも、鍵をポケットに突っ込んで自転車のペダルをこげば、すぐそこにある。