雑記

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わたしは本しか信じない

 わたしの家族は、本を読まない。

 いっさい読まない。新聞も取っていないし、パソコンもわたししか使わない。インターネットもやらないし、休みの日は、父は一日中テレビを見ていて、母は不倫相手と遊んだりしている。

 これが情報弱者の実態だ。

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 わたしの家族は、学ばない。

 幸せはお金だと思い込んでいて、けれどもお金については何一つ知っていない。宝くじに思いを馳せ、かと言ってろくすっぽ節約もせず、なんだかだらだらと消費していて、わたしの言葉には天邪鬼。

 幸せはニューヨーク・ハワイ・シンガポール・パリ・ロンドン・ローマ、シャネルにヴィトン、コーチにグッチ。

 母は学生の頃の欲望を、未だに引きずっているのか、これがバブル世代というものなのか。

 父も危ない。たぶん暇になったら、一日中テレビのリモコンを握りしめて、安酒とスーパーの惣菜を自室にしこたま持ち込み、たばこを延々と吸っている。用意に想像できる。

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 人間は生まれながらにして読書能力があるわけではない。

 まず表記文字が生まれ、それがシンボル化されて、次は音節なども表現できるようになり、いよいよ表語文字となる。

 文脈を読み取るには脳の後頭葉・側頭葉・頭頂葉さらには前頭前野まで稼働させてようやく理解できる。

 読書するというのは、すごいことなのだ!

                   

 わたしは数年前から、本に書いてあることしか信じないことに決めた。これは別に活字至上主義ではないし、たぶん経験から得られることも(ことのほうが?)いっぱいある。

  でもさ、なんていうのかな、人として、最低限度の知識とかって、やっぱりあるんじゃないの?

 ある程度の幸せの営みの一つとして、文化的な喜びを選択するのって、人間として普通なんじゃないの?

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               わたしは悲しい。

                 何が?

 それはお父さんもお母さんも(ついでにお姉ちゃんも)、みんな悪い人ではないから。みんな、罪はない。なのになんで、なんでこんななの?

            みんな、あのバブルのせいだ。

               日本を訴えてやる。

 

 

プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?

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